2000.1.1 / Exploring Woodlands

関 直美

キッチンキマイラ

Exploring Woodlands 1999-A Report ①

 1999年9月、アイルランドのキルケニー州で三週間にわたって開催された木彫シンポジウムに出席してきた。

 その様子を報告したい。

 今回のシンポジウムは行政、市民、スポンサー、そしてアーチストの4者の関わりがきわめてうまくいったケースと思われる。これはひとえに行政の立場であるアート事務局の尽力の賜物であり、心から彼らに感謝したい。

 開催地はカッスルコマー郊外に広がる長い間廃墟となっていた、かつての貴族の150エーカーもの土地である。そこを市民の散策の場として再開発しようという壮大な計画において、その散策のめやすとしてスカルプチャーロード<彫刻の路>が組み込まれ、その彫刻を現地制作にしようというのが今回のシンポジウムである。

 そして森を歩くとすでに水の干上がった2つの湖のなごりや城跡があったり、古代の洞窟が1つある。参加作家は8名、具象から現代アートまでと作品の傾向はクロスオーバーしている。それらの作品の耐用年数は、ワンシーズンで自然消滅するであろう作品から10年以上とまちまちである。主体は結果である作品よりもむしろ、その過程※に重きがおかれる。従って、いつかはすべて朽ちるのだからその時はその時だという見解である。

 アート事務局は野外制作→展示→保管の順路において、資金繰り、アピール、作家の管理等こなしていく。決して事務的でなく、心暖まるやさしさを持ってなおかつ、すべてに対して平等に、である。そしてその事務局を中心に企業は資金提供、材料、場所、労働力、ショベルカーなどの提供を快く申し出る。個人もしかりである。

また、カメラウーマンはドキュメントを残し、テレビクルーは情報を流し、市民はギャラリーとなって遠くからも足を運ぶ。

 今回の成功はこの流れがとてもスムーズで気持ちよくできたことに尽きるだろう。承知の事とは思うが、野外でのシンポジウムは決して楽ではない。まず天候に左右される。9月は比較的天候に恵まれるとはいうものの長靴、レインコートは必携である。それに加えて電気がないので工具もおのずと制限され、頼りになるのはエンジンチェーンソーだけである。なのに私はそれを壊した。ハスクバーナー、すぐれものだったのに。

 作業助手はそれぞれの作家の製作過程によって、人力が必要ならば誰かが助けてくれるし、ユニック車が必要ならばそれなりに手配してくれる。また、3週目はほとんど制作が終了していなければならない。この最後の週はランドスケープデザイナーと作品設置の場所の選定、その次は基礎工事の立ち合いと、森の中を行ったり来たりでたちまち過ぎる。ましてや最終日となると工具を片付けるそばから、パーティの準備が始まるといった慌ただしさであった。

 制作中、小学生は授業の一環として、美術学生は野外スケッチを兼ねて、高齢者は犬と散歩がてら、といったようにギャラリーたちが次々と訪れてくる。いつの間にか日本の鑿や鋸の使い方、はてはチェーンソーの使用法などのレクチャーが始まる。また或る日には、リタイアしても若者顔負けに話題が豊富で意気盛んな老婦人達にディナーを招待されたり、町のケーキ屋からケーキの差し入れを受けたり等々、人々とのコミュニケーションを楽しむ。そう、楽しんだ。

 来年、ランドスケープデザイナーとともに考え計画した樹木立ち揃い、草花が作品の周りを鮮やかに彩るであろう春の到来を、今から待ち望んでいる。


うれしかったこと その1


 ある日、老婦人が私を訪ねてきてディナーに招待してくれたことがありました。婦人から伝えられた日に仕事をしていると、もう一人のゲストである別の婦人とともに彼女が車で迎えに来てくれました。

車で15分程走ると丘の上に見え隠れしてかわいいコテージが建っていました。彼女はメアリーさんといい、この家で猫と犬と暮らしています。友人であるもう一人のゲストのコリンさんも何年か前に近くに家を買い、一人暮らしを楽しんでいます。

私は50代突入、コリンさんは60代突入、メアリーさんは70代突入、合わせて180歳のディナーのメニューは本場もののインドカレー、チキン入りでした。

メアリーさんは若い頃20年以上もインドで暮らしていたそうです。子育ても終わり美しい風景のカントリーサイドに引っ込み、テレビもラジオもいらない※と、この生活に大変満足のようです。

50歳近くになってから取得したという自動車免許であちこちドライブするのが楽しいそうな、夢は車で外国旅行をすること、来年あたり日本に来るかも知れません。

コリンさんも一人息子はとうの昔に独立、わらぶきのコテージに住んでいます。買った当時は風呂が無かったとか。トイレは外にあってそこへ行くのに一度外に出なければならないのですが、そこもきちんと改装されていてなんとも居心地のよい個室となっています。きれいにペンキを塗って大事に暮らしています。

そんな二人と、婦人問題、家庭問題などについてディスカッションしだすと止まらないくらい熱くなり、うれしくなりました。

小さなキッチンのテーブルに座ると窓から夕日が沈むのが見えました。たそがれは静かにくれていきます。

メアリーさんの初孫はもう産まれたのでしょうか。


うれしかったこと その2


 シンポジウムも終わりに近づいた金曜日、作品はすでに森の中に移動を終えておりました。

1人で仕事をしていると車が一台停まり男性が1人白い箱を持って降りてきました。

彼はケーキ屋さんを経営しており、毎週この近くの町にケーキを配達にくるそうです。

このシンポジウムのことは先週ラジオで知り、昨日も新聞で読み、配達の後でケーキの差し入れと一緒に日本人の私に会いに来てくれました。

小さなアイリッシュの家の形のスポンジの中には、アップルソース、オレンジソース、チョコレートクリームが入っていました。

まるで童話に出てくるようなかわいらしさで食べるにはもったいないくらいでした。

3年前にアイルランドに戻ってきたという彼は東京の国立※でケーキ屋さんをやっていたそうです。奥さんは日本人、2人の子供にはもちろんアイルランドと日本人の血が混ざっています。

そもそも原宿のビューリーズ立ち上げのスタッフだったといいます。

残念ながら住所を聞き忘れましたが、いつかきっと手紙を書きたいと思っています。


追記


 目まぐるしい3週間でした。

朝食・昼食・夕食と8人の作家はいつも一緒で作家同志の交流は言うまでもなく、滞在先のホテルのオーナー夫妻にも随分世話になりました。

夕食時にワインを持ち込んでも栓を抜いてくれるし、(誰もオープナーを持っていなかったのです!!)食堂の向こうはパブなので食前のギネスはパブから食堂までそのまま持ち歩くし食事と飲み物には事欠かないうれしい毎日でした。もちろん朝食はアイリッシュスタイルで卵とトマトとベーコンにソーセージ。

昼食はマーガレット(アーツ・オフィサー)が改装したての作業小屋までパン、牛乳、お茶、トマト、ハム、チーズ、おまけにおやつのクッキーまで運んでくれて気ままに誰もがサンドイッチををつくって食べました。週末はバーベキューやパスタ、チリコンカン、しかもワインつきといった楽しい昼食。

 新聞、ラジオ、テレビの取材を受けましたが、そのうち1つテレビは日本語で答えていいと言ってくれましたが、インタヴュアーは英語で質問するので私の頭はかえって混乱し英語のほうがよっぽどよかったと後悔しています。 私を含めて4人の作家は昼食時に皆が集まるハウスの横で制作をし最終的に森の中に設置するという手法をとりましたが、他の4名は毎日森に通っていました。 アイルランドの野外制作で役に立つものは長靴とレインコートです。ハウス横で制作した4名は皆エンジンソーを使うのでそれに加えて耳栓とヘルメットが必携用具でした。

日本では、木彫シンポジウムは石彫シンポジウムに比べてあまり盛んではありません。もっとも石彫シンポジウム減っているそうですが。私が知っているのはかつて静岡県天竜、または岐阜県群上白鳥の夏のシンポジウムくらいです。

最近はどうなっているのでしょうか。


 野外シンポジウムで一番問題になるのは電気が無いために工具の使用が制限されることです。 デンマーク・ホイヤーでのシンポジウムは街の中でしたので電動工具を使えましたが、私のために2日がかりで町の電気屋さんが変圧器を作ってくれました。とてつもなく重かったのを覚えています。

また、3年前のウィックローでは4人の作家に1台の発電機借りてくれましたがかわるがわる使わなくてはならず待ち時間ばかりが過ぎていきました。 そんな経験から今回ばかりはエンジンチェーンソー1つで作れる作品を考えて現地入りしました。

ハスクバーナーの38cmのブレードは、それはよく切れましたが一週間で壊れました。修理屋の兄さんはこんなものはおもちゃだよと言っていました。仕方がないので同じメーカーのもっと大きなエンジンソーを買いました。12万円程でした。

ENGLANDから参加したカールはチェーンソーのオーソリティーです。メンテナンスを毎日教えてもらいました。

いずれにせよ直径70cm余りの木を38cmのブレードで縦にカットすること自体に無理があったようです。