2002 / ガレリアキマイラ

岡部あおみ

カタログ

嵐の後のパッサージュ

 アルベルト・ジャコメッティは畏敬するドランについて、失敗、挫折、徒労をくぐりぬけたところにある資質と評した。それは近代を超克する営みにかけたジャコメッティ自身の資質でもあるのだが、その歩みを引き受けた関直美の果敢な行為にも、どこかしら通じるものを感じる。そういえば、ジャコメッティを愛する関直美の顔にも、あの嵐の跡が刻まれている。

木が動き、木が躍る。まるで体操をしているかのようなムーブメントが秘められている。切り出した栂(つが)の丸太を細長い角材に分割し、たわめ、起立させるためにワイヤーやネジでとめる。だが、極端に曲げた木材のトリッキーな曲線に興味があるのではなない。

拷問に近い圧力で変形させられながらも、木材は見事な水平を保って直立する。その危うく緊張したバランスと潔いエネルギーに、自然と人間が持つ軽やかな生命力、蘇生力、持続力が表現されている。 日常的な意味づけを払い落とすために、タイトルをつけない。反復性のフォルムをサイト・スペシフィックにインスタレーションする点では、ミニマル・アートやプライマリーストラクチャーに隣接する。1949年生まれだから、もの派のやや後輩だが、事物をあるがままに提示することで西洋的な創造を否定したもの派のおかげで、全てが可能に思えるようになったと関直美は語る。

ともあれ、長い間、意思的にマイナーであり続けた。その原点にある「アンチ」の思考が、同時代的な反イリュージョンと反造形主義思想と共振したにせよ、関直美は美術界の「外野」を選び、空間を解体して構築する孤独な作業に専念した。

チェーンソーで削った未加工のテクスチャーと滑らかな木目の対比、おおらかでユーモアのある空間性、観客の動作とともに展開する瑞々しい場面。息をし始める木材は樹木の記憶を呼び戻す。

今年も再びアイルランドに旅立つという。レジスタンスを根こそぎにするために、豊かな森林を伐採されたことのあるアイルランドには、原初的で奇妙な原野が存在する。精神の光をたたえた裸形の風景との出遭い。関直美の故郷は無国籍な森なのかもしれない。国籍とジェンダーを超えたしなやかで強靭で優しい作品は、芸術への開かれた問いとリアリティの感覚を探す根茎的な試みから生成する。