関直美個展「Up In The Air -宙ぶらりん-」/ 2013.4.8 - 5.10

A・corns Gallery / 本郷

宮田徹也 / 日本近代美術思想史研究

関は近年、ダンス/音楽と「いま、ここ」の展覧会を幾度か行っている。画廊では2010年11月以来であるから、凡そ二年半ぶりの個展となる。

関は今回、T字型の画廊の空間を充分に生かした。入口から奥の壁面へ綿々と続く彫刻《宙ぶらりん》(h185×w60cm/14組)を配し、奥の空間左側には平台を配備して《森へかえる356》(10cm角/356点)を展示し、《宙ぶらりん》を挿む床に《はなのような》(30-50cm/6点)、右奥には《まつ毛》(10cm角/3点、A4半切/1点)、《ぷにゅ》(10cm角/9点)を机の上に展示し、画廊内の壁面には《パインスクエア》(10cm角/12点)、《塩ビ立体》(12cm角/12点)、《シリコンレリーフ》(小3点/大1点)、《アルミ箱レリーフ》(12cm角/6点、額無/5点)を出品した。

壁掛けであっても、作品は総て彫刻である。木材であるハンノキ、人工物であるシリコン、プラスチックの結束バンドが主な素材となっている。2010年の作品群はハンノキにシリコンを挟む感触があったことに対し、今回の作品群は結束バンドを使用することによって、三つの素材を同等に存在させている印象を与える。

関は様々な素材を用いて彫刻を生み出すのだが、そこには抽象、具象という分類は存在しない。素材の良さを引き出すのではなく、かといって人間の技術によって現実を変形させるのでもない。一つの具象的な形を抽象的に変化させるのでもないとすれば、シュプレマティズムのような世に存在しない非対象抽象作品を形成する訳でもない。

思えばモダニズム彫刻が背負った課題を消化しようとする彫刻者は、何処へ行ったのだろうか。掘る/削る、型に鋳造するといった近代までの技術論を抜け出して、台座、重力、素材の難点と格闘した彫刻史は、日本ではもの派、インスタレーションの動向に飲み込まれ、消え失せていった。その中で愚直にまで「彫刻とは何か」を追求しているのが関であり、その結果がマッス、ディティール、ヴァルールの繊細さを裏返しにして無視を決め込んでいるような、関の作品なのではないだろうか。

《宙ぶらりん》を例にとってみる。二本の木材の先端が密着し、Aの型の水平線の場所には、長さ1メートルはあろうか巨大な木製の柄杓がぶら下がっている。作品全体にシリコンが塗られ、結束バンドが犇く。この作品の最大の特徴は、互いに寄り添い、自立できない点にある。彫刻の存在足らしめる台座どころか、最後の1点は自立できずに壁に凭れ掛かっているのだ。

それは彫刻が持つあらゆる特色どころか、難点をも凌駕する思想に裏打ちされていると解釈することが出来るであろう。関は、彫刻はこうでなければならないという苦悩を軽々吹き飛ばすのではなく、現代美術が軽々と吹き飛ばす彫刻が持つ不自由さに苦悶する。1970年代から絵画は平面、彫刻は立体と定義を変えさせられていった。それは明治期に仏像が彫刻として生まれ変わったような転向を意味する。関の作品は仏像でも立体でもない。彫刻が持つ性質を最大限に知り尽くした上で、彫刻とは「何か」と問うのではなく、これが現代の彫刻「なのだ」という主張を繰り返す。ここに関が他の彫刻家と区別される所以がある。

このような関の彫刻が変化するには、関の彫刻自身ではなく、関の彫刻に対して我々が注ぐ眼差しを必要とするのである。W・ベンヤミンは「現代芸術は批評=視線を注がれることによって完成する」と述べている(『ドイツロマン主義における批評の概念』)。我々の視線が変化するためには、また別の要素が介在する必要も生じてくる。

関は70年代から東京都美術館で作品を発表する際に、必ずダンスなどとコラボレーションしていたという。その時の同士が深谷正子である。深谷はダンス、舞踏に当て嵌まらない「動体証明」という定義を自ら発見し、課し、踊っている。今回、深谷は4月13日と26日の二度、関の展示空間で舞った。おまわりさん=音楽は、二度とも風人が担当した。

オープニング・パーティの最中、風人のエレクトロニクスが強弱をつけながら響き渡る。安全ピンを大量につけた黒いキャミソールに身を包んだ白塗りの深谷が《宙ぶらりん》の脇をさ迷うように通過し奥の壁面に到達すると、右足爪先を立て追った両肘を腋につけ佇む。深谷が捩れると、

《宙ぶらりん》の不確定なフォルムが強調される。深谷は足を踏み出し、屈みながら《宙ぶらりん》に近づいていく。足を大きく開き、左右の掌を前に挿し込む。両手を下ろすと肩を揺るがす。私は手前に位置していたが、作品越しに見れば、また異なる視覚を獲得することになるのであろう。

風人は、ディレイをかけて余韻を含ませた音を発していく。決して饒舌に語ることなく、最小限の沈黙を保ちつつ深谷へ挑んでいく。深谷は《宙ぶらりん》の隙間に身体を斬り込ませ、潜り、作品と一体化しては離脱を繰り返す。深谷が中央で立ち止まると、風人がスクリーミングする。深谷は右手を挙げて《宙ぶらりん》と同じ勾配を形成し、再び空間を縫っていく。そこに発生する見えない轍は、蛞蝓の跡のようでも深谷のアクション・ペインティングにようでも在る。《宙ぶらりん》から右手が伸びてくるのか、深谷の身体に《宙ぶらりん》がこびり付くのか。深谷は身体を掌で叩き、リズムを形成する。

風人はマイクを通じたヴォイスで唸りをあげる。二者のテンポは共通しない。そこに多元的なポリリズムが生まれる。深谷は右手足を同時に床へつき、うつ伏せとなる。腕を回しながら立ち上がる深谷を、風人のシーツ・オブ・サウンドが包み込む。深谷は再び《宙ぶらりん》と対峙し、上体を沈め鳥のように両手を煽ぐ。風人はサウンドに余韻を持たせる。深谷はテーブルの《森へかえる356》に顔を埋め、多彩な表情を浮かべる。すると《森へかえる356》の結束バンドが植物のように青々と栄えて見える。深谷は腰を落とし、晒し首のように顔を覗かせ、机の下に潜り這って抜け出し、うつ伏せのまま動かなくなると、38分の公演は終了する。《宙ぶらりん》が全く異なる表情を見せ、《森へかえる356》は深淵のクレバスを垣間見せた。

26日のコラボレーションでは青い照明を設置して玉内公一が操作したが、脚色/演出にまでは至らない自然な光学を提示した。直立不動の風人が絶叫すると、暗転する。暗闇の中で風人は絶叫を断続的に繰り返す。深谷は13日と同様の衣装で登場し、《宙ぶらりん》の傍らで立ち尽くし、やがて《森へかえる356》の机の下へ潜る。それは13日のコラボレーションの続きを始める姿と解釈することも出来る。

風人は低い唸り声をあげる。うつ伏せの深谷は肘と顎を床につける。風人は高音の唸り声をあげる。深谷はうつ伏せのまま膝を立て、腕を流し、フォルムを形成していく。それは関の作品にないものであるが、見えないところで繋がっている感がある。風人は閉じた唇から、僅かに開いた息を吐く。深谷はうつ伏せのまま机から抜け、手足を掲げる/床に額を付くダンスを繰り返す。それを見続けていると、額が支柱であり天井と床が逆様に感じてくるのだ。

風人は舌を鳴らし、喉の奥から声を振り絞る。深谷は左腿を下にして腰で座り、右脛を床に付け右手を煽るといった、様々な形を生み出していく。立ち上がった深谷は大きなステップを踏みながら、空間を腕全体で切り裂いていく。すると手足が逆転し、足が空間を導いていくのだ。

風人は声を連続させる。深谷は腰をつけ《宙ぶらりん》に潜り込み、完全に埋没する。右足爪先が柄杓を掬う。肩で頭の方向へ移動し、《宙ぶらりん》を通り越していく。風人は声を発し続ける。深谷は《宙ぶらりん》の中で両膝を床につける。風人は声の質を換えずに量を増していく。深谷は《宙ぶらりん》から抜け出て爪先立ちとなり危ういステップを踏み、《森へかえる356》の前で右手を翳し、口元には左手が位置し、両肘に角度をつけて上に掲げる。風人は咳き込むような声を出し続ける。

直立した深谷は上体を折り曲げ、右頬、左肘と順番に《森へかえる356》の机の縁に乗せる。風人は唇を揺るがすように息を吐く。深谷は机から離れ、縦横無尽に床を巡る。止まり、左手を後方へ流して上体と右手を折り、宙を見詰める。風人は、強い息吹を連続する。深谷は右爪先を立てて、深く力を全身に溜める。右手が大きく上に伸び、力が滴り落ちていく。再度右手を挙げて落とし、《宙ぶらりん》を見詰め続ける。風人は浅く吐く息吹と強く叫ぶ絶叫を織り交ぜる。深谷は去っていく。何度も振り返りながら。風人の絶叫を余所に、深谷もまた何度も大きく息を吸い、吐く。深谷は視線で《宙ぶらりん》を手繰り寄せている。扉を出ても、ガラス越しに作品を見続けている。38分間の公演であった。

深谷は13日に比べて《宙ぶらりん》と距離を取ることによって、作品と一体化したのだった。注目すべきは風人であった。マイクとエフェクターを用意しながらも、この日は肉声で勝負した。沈黙と喧騒という状態、音量、高低、アタックとドローン、吸う吐くという様々な要素のバロメーターを操った。この強弱により、関の作品は本来持つ姿が浮き彫りになったのであった。

このように、関の作品はW・ベンヤミンのいう批評=動体照明、おまわりさんによってその都度に全く別の表情を浮かべると共に、普遍な本質が浮かび上がってくる。この点において関の彫刻は、彫刻の歴史的変遷を辿りつつも、あらゆる権威と概念から解放されようとする現代美術の性質を強く主張するのである。否、もしかしたら関は当たり前に言うのかも知れない。「彫刻家が彫刻を作っているだけだ」と。