彫刻と私

関 直美 / 2015

長い間美術にかかわってきた。それも現代美術である。
どうやって食べているのですか?その間、よく聞かれた。いや今でも。
タコが自分の足を食べる、あれと同じですよ、と返答に窮して答えたものだが、タコが自分の足を食べるのは、捕獲された時などのストレスが本当のところらしく、決していつも食えないから、それをするのではではないようだ。

学生時代、彫刻が面白かった。が、どうやって食べていくのかは、何にも学ばなかった。人体制作の授業の最後は、粘土でつくった人体を型取りして石膏に置き換える。その「石膏取り」が出来たら皆さん食べていけますね、と一人の教授がポツリと言ったこと、後々になって重い一言、ジャブのように効いてきたことは確かだ。
なんの心配もしなかった、ただただ毎日が楽しくて、日々のおしまいは学校の隣の銭湯に駆け込み、制作に明け暮れた。

そして彫刻は非常に明快、主に具象(人体などかたちがわかるもの)と抽象の二つ。後になってみればパフォーマンスやインスタレーションなどもあったと分かるのだが、その当時の時代の影響は大きく、私は何の抵抗もなく抽象をとった。それが今につながる。

主に木を使って制作し、何だかだんだんに大きなものをこしらえるようになっていった。今回の樹木を細かくカット、二つに割って張り合わせシリコンで接着する、この木の仕事はその大きな仕事の名残りである。長野県の友人の森から分けてもらったヤシャブシとハンノキ。森に泊まって車サイズにカット、何往復しただろうか、業者に頼まざるを得ない運搬から自身サイズで頑張る、それに変更した。業者は有料、私は無料、非常に助かる。

大きな作品は、細かいディテールをさて置くことになる。その大きな仕事をさんざんした結果、その裏返しの仕事をスタートした。
もったいないけれどチェーンソーでやたら細かくした後の、机上の仕事は女工の境地、黙々とルーチンワークで過ごす。手わざ、それもヘタッピでいい、けれどかけた時間、すごい!で勝負するといったバカな仕事。こんなへそ曲がり、いまどき流行らないかも、であるがやり出したら途中で投げだすことこそ、私にとっての私のルール違反である。
結果、皆さんにも見ることをある種強制してしまうかも、であるが、これが2015年の関の仕事である。