1994.11 /「現代日本木刻フェスティバル」

大田三吉

関の本

木霊との対話

 太古の昔、山や森は聖なる地であった。山は神の住むところであり、祖霊を送りとどける浄土でもあった。森は狩猟採集の生きる場所で、多くの恵みを与えてくれる聖なる土地と思われていた。そこに生える樹もまた聖なるものと認識された。木は天降る神の依座(よりしろ)とみたてられ、樹木崇拝の観念が生まれたと思われる。

やがて鉄器が移入されて、木の加工、利用技術が飛躍的進歩をとげるわけだが、樹から木に転換しても聖なる意識は持ちつづけられた。白木の板に愛着を示す日本人の心情や、多くの仏像や神像が木によって作られていることも、この聖なる木霊の意識が記憶されているからではないだろうか。近代になって技術革新により彫刻の素材も多種多様になり、気は少し忘れられてしまった感があった。

「木刻フェスティバル」はこの忘れかけた聖なる木を甦らせる大きな試みだったと思う。単なるイヴェントではなく、現代の日本にとって重要な意味が込められていたのである。今、日本の文化は「森の文化」と言われている。樹から木に移っても木霊は生きている。「木刻フェスティバル」は、この木霊の精神を世界に問いかけているのである。