1995.8.30 /「第3回国際木彫シンポジウム」

関 直美

毎日新聞

造形の原点に触れる喜び

複雑な現代も視覚化

―国際木彫シンポジウムに参加して

デンマークのホイヤー市で今夏開かれた「第三回国際木彫シンポジウム」に参加し、世界十数カ国の作家と一緒に現地制作を通じて交流を深めた。国も思想も違う作家たちと交わりながら制作した日々のことが、今も鮮明によみがえってくる。

 シンポジウムには、日本から私と戸塚秀三氏の二名が出席した。地元デンマークを含めてヨーロッパが大半、ほかにエジプト、シンガポール、メキシコ、ペルーなどからの22名の彫刻家と5人のレリーフ作家が公開制作した。作品はシンポジウム終了後も、今月末まで現地で展示されている。五年前に二人の彫刻家マリア・グランドルフ(オランダ)とソレン・チップ・ニールセン(デンマーク)の提案で具体化し、三回目を迎えた今回もこの二人が作家達のリーダー役を果たした。

 広場を中心として町の中を一周しても一時間あれば充分といったこのかわいい町は、古い藁葺きの屋根があちこちに現存している。もちろん外壁は煉瓦である。日程表に夕食後ホイヤーミルで会合と書いてあったが、まさしくそれは由緒ある古い風車小屋のことだった。その展望台からは、のどかな牧草地が遥か堤防の土手まで眺められる。海と風の静かな町である。それがシンポジウムの9日間で二万人ほどの人々で賑わった。

 初日、作家は緊張していた。各人には50センチ直径の背丈ほどのカシの木が割り当てられる。市長によってチェーンソーのエンジンがかけられ制作が始まったのだが、何台もが唸り出す光景はすさまじかった。短い期間に作品を作ることができるのだろうか、と不安を抱えやってきたが心配は無用であった。特大のチェーンソーは担当者がいてバサバサ切ってくれる。確かに仕事は早かった。パワフルである。普通サイズもオイルと歯の張り具合を毎回チェックしてくれ、まことに有り難かった。

 オーストリアからアシスタントと共に車でやってきたクルト・マットは、いつも山や海とかかわる大きな制作が主だ。彼のなぜこのシンポジウムに参加したのかを訊ねると、「簡単さ、デンマークに来てみたかったのさ、仕事場があって人に出会えてお互いにいい作品を作る、これで言う事無いじゃないか」まったくその通りである。

 夜は彫刻の歴史や木材についてレクチャーが組まれていたが、各作家のスライド紹介が町の人にも作家にも人気があった。制作中の一本の丸太からはわかりにくい国柄や意外な各人の個性が見えてくる。和気あいあいの各国語の質疑応答。

 レクチャー後は誰からともなく仮設テントの仕事場に、ワインとビールを持って作家たちは集まる。彼らは耳がいい。「カンパイ」「オツカレサン」とすぐにいい発音で返ってくる。レナータ・ブラドは歌が上手だ。ルーマニアでアートの先生をしており、音楽も教える。彼女と彼女の夫オウレルは日本の公募展にも応募していた。「もし一時審査を通過できたら、次は現地審査なので大変だ。海外からの応募は何らかのスポンサーがつくといいのにね」と話していた。

 彫刻の方法は簡単に言うと二通りある。量塊を外から削り出していく作業と、中心から外へ組み立てていく逆の作業、例えば粘土を肉付けしていく方法、の二通りだ。今回のシンポジウムにそういった造形の原点に立ち戻り、改めていろいろな方法を提示してみる面白さを見た。外から削り出す、丸太をヨコに寝かせてみる、八枚の板を挽き出す、何十本もの角材を切り出す、タテに真二つに割る、ヨコにおいて輪切りにする。こんな一見単純な作業を経て、複雑な社会をそのまま視覚化したような複雑な作品も生まれていく。造形の原点に戻って制作することの大切さを改めて痛感させてくれたシンポジウムだった。