1996.10.1 / ガレリア・キマイラ

三田晴夫

キッチンキマイラ

”構成”から”密度”へ

木を素材としているだけで、その彫刻をアジア的とか東洋的という印象で括るのは危険である。それは木の文化/石の文化という東西二元論から発してくるのだろうが、つまるところアジア人や東洋人がつくった作品をアジア的、東洋的と繰り返しているのと大差ないからだ。

いや、引用樹林か照葉樹林かといった差異を除けば、そもそも地球上には広範な木の文化圏が存在する。関直美が1995年夏に参加したデンマークの国際木彫シンポジウムをみても、北欧を中心にオーストリア、ルーマニア、エジプト、メキシコ、ペルーなど作家の国籍は十数カ国にわたっていた。また、日本にはなじみのデイビッド・ナッシュビルやロジャー・アックリングといったイギリスの造形作家をここに加えてもいいだろう。

木を使った造形が東洋やアジアの専売特許とは、とてもいえなくなってくるはずである。土の場合にも当てはまるかもしれないが、もはや素材をめぐる文化的、歴史的なアイデンティティーなどは、ことさら問題にしないほうがいいのかもしれない。

関直美が木にこだわっているのは、そのあいまいなアイデンティティーとはかかわりなく、木肌のぬくもりや節が織り成す表情に引かれるからだという。あくまで観念的でなく、触覚的にかかわろうとする彫刻家らしい態度が感じ取れよう。キャリアは決して短い方ではないが、彼女の作品が注目されるようになったのは80年代後半から90年代にかけてである。その近年の作品すべてに接しているわけではないし、隊商を受賞した94年の現代日本木彫フェスティバル(岐阜県関市)も見ていない。

しかし、実際に目にした何回かの個展の記憶からたどっていけば、彼女の彫刻に共通する特質や特異点をいくつか探り当てることができる。それらは作品に表現された彼女の彫刻観の、いわば核心をなしているところといってもいい。たとえば、作品の多くは切り出した板や角材ほとんど造形加工することなく使っている。まだ学生時代に美術界を席巻していたモノ派やミニマル・アートから受け取ったものの余韻なのだろうか。

世間的には「団塊の世代」とか「全共闘世代」に属する彼女にとって、まさに”(造形的)に作らないこと”こと既成の美術に対する最大の異議申し立てであり、それを立て直す為のもっともラジカルな原理だったはずである。

そうした立脚点を持つ彫刻が、主観的に何かの形を彫り出すことよりもぶったいと物体と物体の関係を軸にして新たな知覚経験を導くような表現に傾いていくのは不可避的とさえいえよう。それには大きくふたつのパターンがあり、一方は板や角材の集積体に金属の発条(バネ)を取り付けていて、当然触れたり乗ったりすれば揺れ動く作品である。

もう一方は異質な重量をもつ木と木、木と金属を組み合わせていて、されらがぎりぎりの限界で釣り合っている状態を一点の彫刻として視覚化させたものだ。たとえば94年の木彫フェスティバルの大賞作品を例に引くとわかりよい。角材で組んだ四角の大きな木枠が直立していて、その上辺からアルミ板で覆った角材が屈曲しながら前方にせり出し、さらにその先端に丸太が繋がれている。特定方向にこれだけ重量が加われば、四角い木枠は間違いなくその方向に倒れてまう。そうさせないために、木枠の上辺から反対方向に角材を束ねた立方体が吊り下げられた。いわば宙空に長く伸びる線形と吊ったキューブが、木枠を辛うじて直立させていることになる。

発条を使った前者は観客参加型の作品ともいえるもので、そこには作品に触れるのをご法度としてきた美術界への批判も内在されていたとみていい。そのおおらかな遊びの精神は結構気に入っていたのだが、作品が大きいのに加えて発条が動くたびに展示位置が変わることもあって、近年はスペースに余裕がない画廊での発表が困難になったのは残念だ。このところ後者のシリーズが続くのには、そうした事情もあったのである。

しかし、わずかでもバランスを失えば、全体がガラガラと崩壊してしまうような緊張感を、作品の一種ユーモラスな身振りの中に溶かし込んだ後者のタイプも捨て難い味わいを感じさせる。とりわけ阪神大震災や地下鉄サリン事件を経験してからは、ここに内在された危うさを文明や社会のそれと読み替えないではいられなくなったこともたしかである。ガレリア・キマイラに展示されたのも、この後者のタイプに属する新作であった。

だが、従来の関直美の作品を見慣れた目は、そこで著しいまでの変身ぶりを目撃することになる。何がどう変わったというのか。まずメイン・ホールに展示された一対の大作では、たぶん初めて、樹皮がついたままの自然木の丸太が使われたことに驚かされるはずだ。それらが縦に真っ二つに断ち割られて分離され、倒れるぎりぎりの角度に傾いた中間に、アルミ板で覆われた角材が板状に束ねられて丸太の両半身にそれぞれ食い込んでいる。それが丸太の倒壊を防ぐ重心の役割を担っているのは、、もういうもでもないだろう。

床に併置された二対の一方が400キロ、他方が200キロの重量という。丸太は95年秋の台風による風倒木を貰い受けたもので、中国産の神樹という木だそうである。その荒々しい樹皮の起伏や表情から、目覚まされる所が少なからずあったにちがいない。ダイナミックな樹皮との対比にはアルミののっぺりとした質感がふさわしかったのだろうし、その均質なアルミ面を波立たせるように青い塩化ビニールのごつごつした垂直線がはさみこまれたような気がする。

上の小部屋に展示されたもう一点は、対照的にすべてがアルミ板に覆われた角材を使っている。それらが水平に重ねられて塀のように立っている上に、わずかな支えを挟み込んで同じように束ねられたもう一枚の塀が傾いて乗っかっている作品だ。こちらは素材の質感を際立たせることもなく、それを徹底して中性化することで危うい均衡の力学がいっそう鮮やかに視覚化されたといえる。いずれにせよ、ガレリア・キマイラでの二通りの新作によって、関直美の彫刻表現にひそむ動と静の両面性がはっきりと浮上してきたことだけはたしかであろう。それとともに従来の装置的な構成よりも、単体としての作品の密度を高めることのほうに作家の関心が注がれ始めたのではないか、というような印象にも誘われたのである。