1998 / リートリム

関 直美

報告

1998年度特別派遣在外研修報告

1. 研修題目

アブストラクト(抽象)作品の展開

彫刻はものを刻み 空間を刻み 時間を刻む

真・善・美 そして不思議さのさらなる追求

2. 研修報告

近代の神話が崩れている。

右上がりの進歩と発展によって身も心も豊かになれる、グローバルな資本主義が最大多数の最大幸福を実現するなど、私たちがかつて学生時代に学んだことはベルリンの壁が崩れ去った時にこれからは通用しなくなるのだということを認識した。そして今、北朝鮮と中国のボーダーラインがぐぢゃぐぢゃになりようやくそのことが身近な具体性として見えてきた。

不況と楽しくつき合える豊かな文化を創造する時代の到来である、と誰かが指摘したように確かにゼロ成長マイナス成長の時代をすでに7年も暮らしている。

有難いことに絶えずゼロ成長マイナス成長経済の作家である私たちは不況知らずである。というより不況に慣れ親しんでると言うほうが正しいだろう。

その私たちが学生時代だったのは約30年も前のことである。まだ政府の在外派遣も数えるほどで、その頃海外で学ぶこと、海外でつくることは大変なことだった。友人がニューヨークに渡ったその時の為替相場は1ドル=360円であった。また余談ではあるがそんな時代、現代彫刻を志す者はパリよりもニューヨークに憧れたものだった。

今日のように100人近い在外派遣が可能になったことは大変喜ばしいことであり、それはニューヨーク・パリに限らずヨーロッパ各地やアジアなど各人が各方面の国々で文化交流を行うことができるようになったということである。

このような時代の変化に伴い、日本に生まれた日本人の彫刻家として今後より国際的な視野は必須条件である。

私は絶えず主流ではなく反主流、内野ではなく外野、といったスタンスを取ってきたが、時代の変化は右ではなく左、上ではなく下、といったはっきりしたものではなくそれらの中間のファジーな空間の模索を要求している。今回の研修においては、技術的に学ぶことはさることながら、彫刻を通してそのファジーなる中庸なアイデンティティを探り当てることを大きな軸とした。

サッカー選手の中田英寿が世界的に活躍している様子を見るとうれしくなる。

98年度ワールドカップのように、例えばチームはフランスだがチームメイトは多国籍といったような、出たり入ったりするフレキシブルなボーダーラインをアートの面でももっともっと作っていきたい。

国際時代だ、ボーダーレスの時代だ、と掛け声はいいが、もはやロジックだけでなく一人一人が中田に、またはよい意味でジプシーのようにボーダーを越えること。

前置きが長くなったが研修題目であるアブストラクト作品の展開―彫刻はものを刻み、空間を刻み、時間を刻むという、―このまことに抽象的=アブストラクトな意味合いをご理解いただければ幸である。

ちょうど、折しもNHKラジオの「塗師屋の漆がたり」という番組で富山県の塗師、山本英明氏が語っていた。”木の器というものは、かたちはいじくりまわさんと素直がいいね。もののかたちはヒトが決めるものでそのヒトの生き方が表れる。変に気取ったり緊張したりするとお客さんも使うときに緊張してしまうよ。”

まさに今回の研修テーマはこれであった。

チェーンブロック無しでは動かせない程重くなってきている最近の私の作品群から、自ら私を解放し、センシティブに、素直に、そこの空気・時間を感じとり制作する。

私の日本のアトリエというボーダーラインを越えることは、私が知らぬ間に作ってきた価値観をニュートラルに解体することである。

バラバラになって価値観を再構築する行為の始まりは異空間に対峙する。

ファジーなものを探しながら。

結果も大切だがむしろその始まりと過程にワクワクする。このワクワクがたまらないのだ。

恩師の建畠覚造先生がわかりやすくいつもいっていること、「技術は思考、感性は修練」の実践、つまり実材をいじりながら、工具の使い方を工夫しながら、絶えず何かおもしろい発見を探し当てるということを開始する。

まさに私が作品をイメージしたその時から、もうワタシ一人で作る範囲を越える。ヒトが動く、車が走る。

異文化交流が始まる。

実に好意的で親切な人々の国である。

折しも不況の日本を尻目に景気は向上、町中が活性化していた。元気である。2年前シンポジウムで滞在した折、携帯電話をそんなに見かけなかったが、今回は誰でも持っている、まるで日本である。ただし日本のようにティーンは持たない。

ユーロは確実に歩みだす。人々の期待は大きい。

北アイルランド問題も解決に向かう方向で、その国境近くのの土地は今は格安だが値上がり間違いなし、といった「土地の価格は上がるもの」という神話がこの国では成立している。

ご存知のことと思うがアイルランドは北海道ぐらいの面積に静岡県ほどの人口、350万人が住んでいる。

都心から車で20分も走ると、田園風景ががのどかに広がる。羊・牛が点々と草を食んでいて、農業を中心とした国柄をうかがわせる。

石の家、地震がないのでその古い家を改修して代々人が暮らす。

結局木材を使った作品を作ることにし、工具や金物等調達しながら制作にとりかかる。

毎日スタジオ入り。このスタジオも古い民家を改修したものだ。石壁の厚みで何百年前のものなのか分かるそうである。このスタジオは百五十年ものだそうだ。暖房は無いに等しい。凍るほど寒かった。

シンポジウムのハードな日程と違って今回は充分に余裕があり、何よりも生活の心配をしないで済む。ただ作品のことだけを考えていられる。まことに有難かった。

INCENTIVE/MOTIVE―内的要因/外的要因―という1つのテーマをたてそれに基づいて大小合わせて5点制作した。そして展覧会を滞在中に開催できたこと、毎回頭を悩ませる作品の保管についても翌年の1999年6月に展覧会を予定できそれまで保管してくれるとのこと、大変ラッキーであった。

作家同志ともゆっくり話ができ、おいしく食べておいしく飲んで怪我も無く充実した毎日まことに幸いであった。

3. 研修日程

研修日程

1998年9月30日―12月18日

研修地

リートリムスカルプチャーセンター

メインストリート、マノーハミルトン、リートリム、アイルランド

(展覧会開催地)

研修スタッフ
●ディレクター:
ロビー・マクドナルド
●マネージメントディレクター:
ノリーン・エリオット
●トレーニングスタッフ:
デイヴィッド・カイナン(ファンドリー担当)
ジャッキー・マッケンナ(木彫担当)
シェイマス・ドーハー(石彫担当)

4-1. 研修の細目

(割愛)

4-2. 研修成果

<作品>
WOOD 9-1:
200x150x40cm / オーク
9-2:
130x40x25cm / オーク
9-3:
155x160x30cm / オーク
9-4:
200x30x25cm / オーク
9-5:
40x40x20cm / オーク
<展覧会>

INCENTIVE/MOTIVE

DECEMBER3-13、1998

THE LEITRIM SCULPTURE CENTRE

<地域文化交流>

IRISH TIMES取材

レクチャー 地元の小学生来訪

アーチストレジデンス(について後に説明してある)は、制作を支援してくれる機関である。ここに世話になり作家としてお礼に何ができるかは、まず良質な作品をつくること、そしてできれば社会に対して何らかの貢献をすることである。

私はラッキーにも当レジデンスに対して3つの恩返しができることになった。展覧会の開催、アイリッシュタイムスの取材、地元の小学生に対するレクチャー。作品をつくるまでは私個人の仕事、その他はレジデンスのスタッフとの協力によって可能となった。

作品をつくるにあたってももちろんレジデンスによる多大なサポートがあった。

4-3. 研修活用計画

1999年 ギャラリーオカベ(1月26日-2月6日)個展

 ″   6月 CARLOW IRELAND KEIICHI TAHARA JOINTSHOW 

4-4. その他、リートリムスカルプチャーセンターについて

アーチストが滞在し制作活動ができるスタジオを備えた施設や機関のことである。

その目的は制作を支援にワークショップなどを通して国際交流や文化振興を図ることだ。

スタッフとして常駐ディレクター、マネージメントディレクター、インストラクターからなり、スタジオ運営、ギャラリー機能やオープンスタジオなどによってアーチストに発表の機会を常に提供することを仕事とする。

特徴としてアーチスト主導型のスタジオ運営、地域に根付いた多様な活動をしている。

こういったレジデンスは数箇所あるが彫刻家のためのそれはこの国においてはこことファイアーステーションアーチストスタジオ、他一ヶ所である。

特筆すべきはこの3ヵ所を手がけたディレクターは同一人物であることで、その人物、ロビー・マクドナルド氏は3ヵ所目のリートリム・スカルプチャー・センターの立ち上げそして拡充に現在取り組んでいる。

アーチストレジデンスが成り立っている背景には国からの経済支援がある。レジデンスの活動に国が慈善行為・社会貢献の要素を認めており、パブリック・オーガニゼーションとして認可されているのだ。とはいえ、それでもどこも運営状態は厳しいようである。

いずれにせよこういったバックアップ体制のお陰で作家は、決して豊かにではないが、制作活動が続けられる。

またこちらでは各国間の情報もオープンに行き交い、シンポジウム等も盛んで、国外で制作できるチャンスも日本より圧倒的に多い。

日本の中堅作家が不遇な環境で制作している姿には本当に頭が下がる。多くの作家の作品の質は高い、こちらなら彼らは充分食っていけるであろう。

美術の地域への密着度の違いをはっきり感じる。何をやっても手ごたえがある。

アーチスト主導型レジデンスの早急な立ち上げの必要性を痛感する。日本に来たいという作家は作家は多いのだが、今日本にそのようなレジデンスは無いに等しい。