2002.6.15 / ガレリアキマイラ

藤島俊会

神奈川新聞

空間を発見する

内に充満する緊張感

関直美展

木の造形の豊かさ

久々に彫刻が発散するオーラを一身に浴びたような気持ちになった。実際に組み合わされた木の肌から、たとえ乾燥した木とはいえ、気のようなものが発散しているのではないかとも思った。静かな住宅街の一角がさわやかな画廊空間に転換するのに立ち会うことになった。

しかし、関直美に彫刻は、正確には塊としての彫刻ではなく、角材や板材を組み合わせて構成した空間造形的な作品である。

メーンの2階の部屋に展示された大作「Sequence」=写真=は、90祖に折り曲げられた数十本の角材と床に敷かれた板材によって、四角な室内空間内に、もう一つの柔らかな空間が入れ子状に作られる。

同じような構造は、3階の部屋に展示された作品にも見られる。ここでは折り曲げられた角材だけで縦長に柔らかく弧を描いて、四角な部屋に納まる。

二点とも四角な部屋に柔らかな形が納まる構造をしている。角材と板の組み合わされた作品を通して初めて、そこの空間の具体的な形を目にしたといってもよい。作者によって発見された空間の内実の形、そこはあたかも神聖な場であるかのようにピーンと緊張感が張り詰めている。

人は往々にして作品の危うい形だけに注意を向けがちだが、それだけでなく、空間内に充満する緊張感を成り立たせている、目に見えない空間こそよくよく凝視すべきである。

実は作品を取り巻く周囲の空間と、木を素材にした作品とは同等にバランスを保って成立している。別の言葉でいうと虚の空間と実の空間は同等の質をもって空間全体を成立させているのである。

作者は、大作の内側を人が通るような仕掛けをたくらむ。充実した空間を通過する緊張感は、思わずユーモアを誘い、なぜか遠い記憶をも呼び覚ます。

川崎市に住む作者は、1974年に多摩美術大学大学院の彫刻家を修了。98年には文化庁の海外派遣研修生として、一年間アイルランドに滞在する。その間各種のグループ展に参加、個展も90年代に入って開いている。

94年には、岐阜県関市で行われた第四回現代日本木彫フェスティバルで大賞を受賞、またデンマークやアイルランドなど、海外での彫刻シンポジウムへの参加も経験している。

今回は、前述のダイナミックな作品のほかに、空間を最小限に飾るといってもよい、鉄と組み合わせたおしゃれな作品を二点、玄関の入口と壁に取り付けた。しかし木の表面は、チェーンソーで削ったままの荒々しい肌である。

表面に鉋をかけてなめらかな木肌にしては、人間の視線には心地よいだろうが、かえって木の性質を封じてしまう。

視線に逆らうこの木の扱いには、直截な表現を本領とする作者の感性が働いている。

作者の一貫した制作に対する姿勢は、必ず展示空間を現場で確認して制作に着手するという、現場主義である。具体的な空間をいかにして充実した空間として再生できるか、その一点にあるように思う。

したがって関の作品は決して抽象的な造形ではなく、そこの空間を豊かにするという意味で、具体的なのである。