「ダンスの犬 ALL IS FULL 深谷正子ソロ ゴク私的ダンスシリーズ2 枕の下の月もしくは逆さまつげ」/ 2016.5.16 - 5.29

宮田徹也 / 日本近代美術思想史研究

深谷正子が14日連続の公演を果たした(《ゴク私的ダンスシリーズ2 枕の下の月もしくは逆さまつげ》2016年5月16日-29日/七針)。舞踊でこのようなソロ公演を私はこれまで聞いたことがないし、暗黒舞踏においても土方巽率いる燔犠大踏鑑第二次暗黒舞踏派結束記念公演《四季のための二十七晩》(1972年10月25日-11月20日/アートシアター新宿文化)以来、そうは実現されていないであろう。私は二日欠席した以外、立ち会った。

今回の深谷の公演は、おおたか静流(25日のみ)は特別出演だが、楽曲提供のKO.DO.NA、音響のサエグサユキオ、照明の玉内公一、衣装の田口敏子と共に、関直美の100個は下らない美術作品《森の樹木から》との共演の意味が果てしなく強い。美術とのコラボレーションであったとすれば、展覧会とは画廊では一週間から二週間は並で、美術館であるなら三ヶ月行われることもある。ここでは、このような視線を通じて批評する。

今回、深谷は自らの判断で掌に入るサイズの《森の樹木から》を関に指定し、自らのアイデアで展示し、幾度か「展示替」を行った。当初は壁面沿いに展示し、中盤辺りから床全面に展開し、終盤はピアノの下に入れて一部が零れ落ちるように展示したように思う。私はダンス公演の取材では常にメモをとるが、今回は一切取らなかった。連日を個々ではなく連続として捉えたいがためであった。そのため記憶も曖昧である。

深谷は自らに課した床で爪先を振り下ろす振付を軸に、日々異なった公演を行った。そこに結果は存在しないので、過程こそ大切であるとも言い難い。しかし、一日一日刹那的に舞っていたわけでもない。深谷ほどの実績を積んだダンサーにとって、14日間連日踊ることなど容易い。それよりも現在を基軸に過去と未来、自らの体と他者の体を往来し、振り返ることによって道の世界を切り拓いた筈だ。

その過程において、深谷にとって関の《森の樹木から》は自己のイメージに従順するどころか、むしろ厄介な存在になっていたに違いない。だからこそ深谷は、無意識に、自らがそのような困難に陥ることを予想して、この作品を選んだのではないだろうか。美術作品とのコラボレーションほど厳しいことはない。音楽より難解であろう。深谷に「毎日同じなのですか」と問い掛ける舞踊批評家に驚いた。否、それが常識であろう。

関の《森の樹木から》は長い歳月を経て、現在の形に至りついた。至りついたというより、これからも変化を遂げていくことであろう。2010年の展覧会《開放へ》ではハンノキにシリコンを挟んだ状態であった。2013年の展覧会《UP in The Air》では結束バンドが加わり、2015年の展覧会《八日目のワープ》から現在の形となった。この作品は上下左右が存在しないので、床に転がっていても壁に展示されているように見える特徴を持つ。

中盤の頃であったか、開場し、開演しても、暫く照明がつかなかった日があった。そこで考えたことをここに記す。暗黒の世界では自分は一人ぼっちだし、相手も見えないので向こうも孤独のままだ。薄明かりの中で、深谷が動くことがみえる。いや、感じるのだ。関の作品は見えない。美術作品は暗黒の中では生きていけないのか。ダンスは可能なのか。

美術作品がダンスのように「演出」されることは稀だ。 美術作品がホワイトキューブの中で白日の光に照らされて「鑑賞」されたり、画廊で商品として「展示」されたりするようになったのは1930年以降であろう。すると眩い光に照らされることが前提であり、「演出」であることが理解される。美術作品はダンス以上に「演出」されているのだ。近代以前を考察してみよう。例えば蝋燭の炎に揺らめく中で、能が行われる。襖絵や屏風も同様ではないか。

すると近代的な演出を度外視して、美術作品もダンスも光との融合の中で生れることが理解される。可視性ではない存在論が必要となってくる。では聴こえない音楽はどうなるのか。認識できない視覚芸術とは何か。読み取れない文字は同様であろうが、聞き取れない外国語は話すニュアンスで理解することは可能であるし、これを前提に演劇は成立している。深谷の場合、ダンス自体が主題となっているので演劇と同様であろう。

今回の深谷の作品とは何か。すると、振付とは、公演とは何か。音楽、照明、関の作品との関わりが重要なのではないか。深谷の動きは重力と空間性という同意義でありながらも相反する要素を強調する。「反対の一致」とはドイツの神学者N・クザーヌス(1401-1964)の定義であるが、古代ギリシャから続く発想でもある。

古代や江戸期と近代が明らかに異なるのは、自然哲学が熟成し、自然=光を制御できるようになったことであろう。原子爆弾の光はそれ以前に人間は創り得なかった。衣食住そのものが変化してしまった。広告も近代に登場する。プロダクトデザインは、製品自らのデザインでは広告に成り得ない。食器に盛られる食事も同様、建築、電化製品、髪型も含まれる。グラフィックデザインとの調和が不可欠だ。

1990年代、クーラーボックスほどあった自動車電話が現在、掌サイズ以下のスマートフォンに変化した。戦後の高度経済成長期が当たり前となり、大量消費は地方の定義を消滅させた。分業により個人は奴隷と化し、個人の欲望は企業の儲けとなる地獄図が今日展開されている。デザインのためのデザインが横行し、人間のためのデザインは死滅した。金を遣わされることに怯える毎日が続いているのであろう。

文人画における墨の濃淡とは、空気を描いている。事物ではなく事象が重要なのだ。玉内による照明も同様であり、自然現象に近づいている。KO.DO.NAの音源は零コンマ一秒でも主張する。サエグサはその破壊力をコントロールすることで精一杯だ。田口の衣装は深谷の歴史を支える。関の彫刻は、最初から最後まで深谷と闘い続けた。ここに決着がつかなかったことこそ、これからの二人のコラボレーションの意義が発生した。