「Braid」/ 2022.04.30

関谷泉 / 美術とダンスのDuoシリーズ「Dance Vision」から /出演:関直美 深谷正子 / 評論 / 2019

「モタモタの国でいい」      2024年2月 / 2025年1月加筆           
以下は、新型コロナウイルスの感染拡大における緊急事態宣言や、文化芸術活動への継続支援事業がおこなわれた2020年に、ある方からのお便りに対して書いたものですが残すべく加筆、テキストとしました。
注釈をつけますと、
作家も大変だがギャラリーも危機に瀕していることを受けてA市での私の個展に際し、神奈川在住の私が県をまたいで芸術家継続申請をしたその経過報告。
次にお便りは緊急事態宣言や日本学術会議問題にひどくいきどおっていました。
当時、学術問題を佐藤優 (1960年生まれ、作家、元外交官) は政府による学問の自由の侵害という意図はなく、ちょっとしたずれで「赤旗」にリークされた、という見解を月刊文藝春秋で述べていました。
以下。
それはさておいて今回はまあまあそんなに目くじらをたてなさんな、と思う次第です。佐藤優のテキストを添付しますので見てくだされば。私は彼に賛同します。
1、良かれと思ってやった芸術継続申請ですがなかなか結論が見えません。
もしかして基本的な計画からして違っていたのかもしれません。遠距離からの展示計画ではなく、もっとOn lineの方にシフトすべきだったかもしれません。
ま、結果を待つしかありませんが、はじめの考え方でつまずいてしまったのであればご容赦の程を。申請先は神奈川とやや体質が違うかも、です。
2、日本学術会議の問題は、今もめている事はさておき大元はとても根が深い、突き詰めれば憲法問題に突き当たります。
ずっーと私たちは、アメリカのポチをいつまでやっていればいいのか、と言い続けてきましたし、沖縄、自衛隊問題しかり。だけど国防はどうするのか議論してこなかった。戦争はしない、これOK、そして自衛隊は違憲だから解体すべきだ、これもとても素敵、だってその予算は他にまわせる。だけれども、どう国を守るか。
話し合いで守っていくのだ、と言うのですがそれは、アウトな場合は強国の植民地にならざるを得ないし、そこまで覚悟するべきです。何せ相手はしたたかな国々ですから。
この話のついでに言うならば、軍隊を持たないで国をどう守るかは、まず外交力、そして経済と文化がなくてはならないのですが、この国はしたたかな外交はあんまり得意ではなく、今や経済力は下降気味、文化だけではこの上なく心配です。ま、にわかの経済力でしたが。隣国の経済力がこんなにつかないうちに気がつくべきでしたし。
今回のコロナの感染拡大でわかったと思いますが、いかに日本がもろいか。
国土防衛における感染症対策は戦略の一つとしての必須項目です。
日本学術会議は軍事目的のための科学研究は行わない(2017年にこの声明を継続)、としています。
現実に違憲なのか合法なのかはっきりしない自衛隊があり、その任務において必要な諸々は日進月歩に開発され、この国では日本学術会議の声明を踏まえて、Know How はあるのにそれらを他国から買わざるを得ません。
ここに矛盾があります。この経費は、国防をどうするのかをあいまいにしてきた私たちみんなが招いたツケなのです。よその国から見ればカモ、とてもありがたいお得意さんです。モタモタの国でいい、カモにならないで戦争はしません、という選択肢はないものか。(末尾に注アリ)
実際には防衛費の増強が進み、その一つに自前で装備をまかなうために軍事産業を活性化させ、その生産性に見合った商売をめざさざるを得ない現状があります。

学生運動の最中の私たちは左翼的な考え方のポーズが当たり前でした。
あの当時、安保反対のみ唱えて安保条約の中身なんぞよくわかっていなかった。反米、反政府とただただ権力に反対していた。そして反天皇制。
毛沢東が革命後に何をしたかなどの事実は日本に入ってこなかったし、毛沢東の赤本を懐に、という時代でした。
三島由紀夫が没して50年が過ぎ、彼の言いたいことがようやくわかるようになりました。何も自害することはなかったろうに、彼は大学のバリケードの中に入って学生たちと何回となく公開討論をし、彼らの熱気に煽られたことも彼のあの行動に大いに関係したのではないか、と推察します。
彼は天皇、天皇と言いすぎた、が彼の天皇とは日本の伝統文化そのものであった、そしてその伝統文化に律した日本を、日本オリジナルそのものを大事に守ろうではないか、と訴えていたのだと今になってつくづく思います。
縄文人としてアジアの東に住み始めやがて日本という国になり、なぜ平家から源氏の鎌倉幕府、室町幕府、太閤秀吉から江戸幕府、そして明治政府という流れの中で、天皇を排せず天皇からお墨付きを頂く政治を選択してきたのか、よその国では考えられない「なぜ」があります。
この国には思想がないと司馬遼太郎は嘆いていましたが、彼独特にないものの代わりを結論づけました。そうだ、日本にはたたずまいの美がある!ではないかと、それを鍋ではなく浅くて広いフライパンにたとえました。
それが何なのか私にはずっと謎でしたが、鎌倉時代に書かれた鴨長明の「方丈記」を再読し腑に落ちました。そう、そこにヒントがありそうです。
ちなみに「方丈記」は明治時代に、夏目漱石や南方熊楠が英訳しています。熊楠はお金がなく引き受けた英訳仕事だったようですが、両者とも特に漱石は「方丈記」に、司馬がいうフライパンを見たのではないでしょうか。
たたずまいの美。人々は、花は咲けば散るもの、満開を過ぎた桜のちりゆくさまにはかなさをうたい、雪は積もれど溶けてゆくさまに、月が満ち欠けるさまに、四季のうつろいゆくさまに無常の儚さをみた。司馬はこのような美のたたずまいを鍋に押し込めずにフライパンに並べたのでしょう。
そしてついてながら漱石の「草枕」の冒頭から。
「山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画ができる。」
漱石は方丈記の「すべて、世の中のありにくく、わが身と栖みかとの、はかなくあだなるさま、また、かくのごとし」にえらく共感したものと思われます。
もののあはれ。この世に永遠なんてないよと、ものごとの、もののあはれをうたったいにしえ。若い頃は儀式や慣習などはぶっ飛ばせ、と真っ向から否定していましたが妙にこの頃気になります。

さて、私たちは当たり前なことを疑いもせず当たり前だと思いがちですが、それは果たして本当だろうか、と改めて客観的に精査することが大事かなと思います。
Up dateは大事です。
以上取り止めのないことを、本当にざっくりと羅列しましたので説明の不足があちこちにあるかと思います。たたき台として解釈を願いたし、です。
流行り病がなかなか収まらない年の瀬を迎えました。
長年楽な生活を享受してきた私たち、の「つけ」がまわってきてしまいました。
ので、いたしかたなし。どうぞくれぐれもご自愛ください。 2020年師走 

注:「モタモタの国でいい」について
「人新生の資本論」(斎藤幸平著 / 1987年生まれ)が話題になっています。
マルクスの新しい解釈をもとに、環境問題をからめて資本主義の限界を世に問うています。確かに資本主義は増殖して限界を知らない。たとえばこんなにあるのか、と思うほど確かに多過ぎるコンビニ。うちの近所ですらやたらにコンビニがあるし、このローカルな駅前でもマックが陣取っています。
三十代という世代からの異議申し立て。
なんと希望がわいてきました。
彼は国の経済的な指標のGDPをやめよう、と提案します。日本のGDPは下がりつつありますが、この考え方においては良い兆しです。ニュースではまたもやダメな日本、という報じ方をしますが、決してダメではない。かえってここからなにかが始まるのではないでしょうか。モタモタしているおかげで、戦争を回避する方向が生まれるかもしれません。


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