フェミニズムについて                   2024年2月12日

自著の「彫刻を生きる」(2023年論創社)についてフェミニズムで始まるプロローグにおいて、フェミニズム論が展開されていないことに違和感を覚えます、というお便りをいただきました。それについての考察をテキストにしました。

以下。

森美術館で開催された「美術におけるフェミニズムの企画での鼎談を聞いて」から始まったプロローグは、確かに私はフェミニズムを何も語っていないので、読者は肩透かしをくらったかたちになったようです。
ご指摘のように単なる流れの中でフェミニズムに触れました。

フェミニズムをGoogleで検索をしますと以下がトップに出てきます。

フェミニズムとは、性差別をなくし、性差別による不当な扱いや不利益を解消しようとする思想や運動のことである。
フェミニズムはその歴史から女性権利向上・女性尊重の運動だと捉えられがちだが、男性嫌悪や女性だけを支持するものではなく、男女両方の平等な権利を訴える運動である。

で、フェミニズムをしばらく考えていました。

そしてこれだ!というテキストを発見しました。
「性は選ぶものではない」進化生物学者 / 長谷川眞理子 / 文藝春秋3月号から
性を進化の過程から面白く書いています。

それを私なりに以下の3項目に短くまとめました。
2 についてはこのテキストでは触れられていない「対面の性交」について補足をしています。
1、性は選ぶものではない
2、繁殖成功度と父性確認
3、なぜ男は権力を求めるのか

性の本質は遺伝子組み換えでそれは2つしかなく、性決定のプロセスで男になったり女になったりするのですが、ここまでは私も理解しています。

1、性は選ぶものではない
受精卵は、最初はメスになるようにつくられていてY染色体によってオスにつくりかえられる過程があり、その性決定プロセスにおいてメスかオスかが完全に決まるわけではない。
テストステロンというオス性ホルモンによって、卵巣になるはずだったものが精巣につくり変えられる過程で、何らかの作用によってそれがうまく働かなければ、体はオスでも中身はメスになり、その際に脳も影響を受けて「性自認」「性的指向」の決定の過程や、「自意識」「自己認知」など幾つかの層にわたる構造過程の多様性が存在し、今日いわれているLGBTQは少数ながら生じる。

彼女はここで警告をします。
体と心の性の不一致や性の自認問題が、社会的に認知されるようになってきたが、自分が生まれてくることを選べないように、性は個人が意識的に選択するものではない、大事なことは、性自認は体と心の不一致という自分が選んだわけではない、与えられた苦しい状態を解決するもので、性は選ぶものではありません、と述べています。

2、繁殖成功度と父性確認
繁殖成功度はオスよりメスの方が確率が高く、オスが確率をあげるためには配偶相手の数を増やさなければならない。それはどうもオスの戦略のようです。メスは卵をつくる速度に制限されるので、配偶相手の数を増やしても意味がなくなります。
爬虫類や魚類は体外受精なので父性確認は可視化されますが、体内受精の種では父性確認が難しいので、オスによる子供の養育がなされにくくなります。
しかし、ヒトの最大の生物学的特徴は、ほぼ無力で生まれてくる子供に対してその後の成長にも膨大な時間がかかることで女性単独での子育ては不可能になり、だからこそ夫婦関係(ペアボンド)
を結ぶ、どんな社会にも何らかの「結婚制度」が存在するのだとしています。

ここがよくわからなかったので私なりに調べてみました*。
すると、いつからかヒトのペアボンドというオスとメスの繁殖単位は対面の性交をするようになり、それは親愛と継続のコミュニケーションを促し父性確認を裏づけることになる。
その連帯感は子どもがほぼ無力の状態で生まれてきても、「夫婦関係」として子育てが共同の作業になる。
このお互いの親和性が、何らかの「結婚制度」の存在を生み出し、子育てのかたわら社会的に生活をしていく上でも重要なキーワードになった。

これで納得しました。
なるほど。
だがしかし、時々逃げる事例はいつの時代もあったのではないかしら、と思いますけど。
それにしても例えば縄文人は山と川や海の近くを領域として、ひと組の男女が一つのユニットになり生活の糧を男は狩猟
、女は採集と分業し、社会とともに協力し合って子供を養育したのだろう、と遥か遠い昔を想像します。そして共鳴します。
青森の三内丸山遺跡から子供の棺が発見されています。子供を慈しみ育てたであろう、証ではないでしょうか。

*参考「社会性の起源-ホミニゼーションをめぐって」2019年度共同課題研究報告

3、なぜ男は権力を求めるのか
ヒトが狩猟から農耕という安定した手立てを獲得し、さらにそれは安定のために資源や生計の手段を蓄積するようになる。蓄積は富となり、男が管理したことで一夫多妻制や家父長制が始まり、この手立ては残念ながら女の地位を低下させ、さらに男同士の不平等を生じることになる。
時代が流れ夫の浮気より妻の浮気が許しがたいとする社会が多くなるのは、父性確認に関係がありイスラムのベール、中国の纒足、インドの小さい窓の部屋などは、女性を男性と合わせない風習として生物学的にいう配偶者防衛の行動だった、といいます。

進化生物学の立場から歴史をながめて、男性の経済力や権力の追求や女性に対する支配は「男性の繁殖戦略」が根底にあるのだ、という見解に妙に納得です。

こうしたことを踏まえてフェミニズムを考えていきたいと思う次第です。
性差別はよろしくないが性差はあります。
私としては縄文の時代の、男女の平等な分業の暮らしに憧れます。それぞれの得意な分野でそれぞれに分業すればいいと思います。
ではまた。

追伸:「プリズンサークル」を見てきました。島根にできた官民協働の刑務所でセラピューテック・コミュニテイ(回復協同体)を取り入れた更生法のドキュメンタリー映画。